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山と森に囲まれた小さな村に、イワンという少年が暮らしていました。ある夜、麦畑の番をしていたイワンは、星空から舞い降りてきた不思議な白馬に、二頭の黒馬とかわいいせむしの仔馬をもらいました。その黒馬が王様に見初められ、イワンは馬の世話係として宮殿で働くことに。これをおもしろく思わない臣下は、イワンを陥れようと王様を利用し、無理難題を課しますが―。







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『イワンと仔馬』より
1930年代前半、ディズニーやフライシャーなどアメリカのアニメーションがモスクワでも人気を呼び、「ソビエトのミッキーマウス」を作るべく国営のアニメーション専門スタジオが設立されました。モスクワ中から人材を集め、アメリカ方式に倣った大勢のスタッフの流れ作業による制作体制が整えられ、1937年には連邦動画撮影所(サユースムリトフィルム)として発足、かねてからアニメーションを手がけていたイワノフ=ワノーもそのメンバーとなりました。それから間もなくして、ディズニーによる世界初のカラー長編『白雪姫』(1937年)が大成功を収め、連邦動画撮影所でもこれに匹敵する作品制作が目標となりました。
そして第二次大戦が終了すると、ワノーを監督にロシア初のセル長編カラー作品の制作が始まり、2年の歳月をかけて完成したのが『イワンと仔馬』です 。同時期に制作された『灰色首の野がも』や、後に制作された『雪の女王』(1957年・レフ・アタマーノフ監督)と合わせ、当時の連邦動画撮影所の水準の高さがうかがえます。
『やぶにらみの暴君』(フランス・1953年/作者完成版『王と鳥』として1980年に公開)や、『動物農場』(イギリス・1954年)に先んじて、『イワンと仔馬』は日本では1949年に劇場公開され、あの手塚治虫も感動し、名作「火の烏」のモデルになったといわれています。また、後に名アニメーターとして活躍する大塚康生がアニメーションを志すきっかけとなるなど、若き日の高畑勲監督や宮崎駿監督をはじめとする日本のアニメーションや漫画に関わる人々に大きな影響を与えた作品と言えるでしょう。
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このようにディズニーを目指した時代に作られた作品ではありますが、様々な面でディズニーとは違う魅力が追求されました。

『イワンと仔馬』より
そして、不思議な白馬のたてがみの光のまばゆさや火の烏が放つ光の輝きが美しく、印象深いものとなっています。さらに、善良なイワンが実直に生きて幸せになるという物語にはロシア民衆の普遍的な願いが投影され、大地に春を呼ぶ幕切れのシーンには長い冬の中で春を待つ国に生きる人々の想いが込められているとも言えます。

『灰色首の野がも』より
『灰色首の野がも』もまた、鴨のモブシーンで丹念に描かれた動き、渋く抑えた色調の美術、水面に映る影の細やかな描写などは、スタッフたちがディズニーとの技術の差を埋めようと研鑽してきた成果であり、シベリアの荒涼とした空、凍てつく水面から立ち上る水蒸気、降り積もる雪、樹氷の輝きといった厳しい冬の自然描写は、ロシア作品ならではと言えます。さらに、全体に漂う素朴で情緒的なムード、弱く小さな者同士が助け合うといった道徳性、春の訪れがドラマを盛り上げる展開など、随所に「ロシア的」なものを感じさせる作品です。
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世界各地で公開された『イワンと仔馬』は、あまりの人気に大量のプリントが作られたためオリジナル・ネガが劣化し、半ば幻の作品となっていましたがロシアの国立フィルム保存所(ゴスフィルムフォンド)で一コマーコマに対する手作業で気の遠くなるような年月をかけて修復が行われオリジナル版の色彩や光の表現が現在によみがえりました。
また、ジブリ美術館ライブラリー作品としてDVD化するにあたり、スタジオジブリが翻訳を全面的に見直し、≪新訳版≫を作成しました。60年以上の歳月を経て新たに甦る幻の傑作を、この機会にぜひお楽しみください。

『イワンと仔馬』より
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山と森に囲まれた小さな村に、イワンという少年が暮らしていました。ある夜、麦畑の番をしていたイワンは、星空から舞い降りてきた不思議な白馬に、二頭の黒馬とかわいいせむしの仔馬をもらいました。その黒馬が王様に見初められ、イワンは馬の世話係として宮殿で働くことに。これをおもしろく思わない臣下は、イワンを陥れようと王様を利用し、無理難題を課しますが―。




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湖に棲む野がもの親子がいました。首が灰色の子がもグレイは2羽の兄弟がもと共に、寒い冬の到来を前に母親がもから最後の飛び方のレッスンを受けていました。他の兄弟よりも上手いグレイは、空を一周すると一気に森へ向かいました。そこでキツネに襲われそうなウサギを見つけ、助けようとしましたが―。


